印西の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

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歴史探訪

千葉県印西市歴史探訪
印西市の概要
印西市は、千葉県北西部に位置し、北に茨城県、周りは我孫子市・柏市・白井市・八千代市・印旛村などと隣接しています。市の北部を利根川が流れ、北西部には手賀沼、南東部には印旛沼があり、自然林に代表される豊かな植生など、自然豊かなまちです。印西市・船橋市・白井市・印旛村・本埜村にまたがる「千葉ニュータウン」の、約6割の敷地を占める中心都市として発展しています。

印西のあゆみ
人々が生活を始めた約3万年前のころから、気候が温暖で現在よりも海岸線が内陸まで入り組んでいた縄文時代、農耕が始まった弥生時代、権力の象徴である古墳が造られた古墳時代にかけて、印西で生活していた人々は、多くの遺跡や古墳を残しました。その後の平安時代において、現在の印西の市域に当たる場所は、印旛郡11郷の中の船穂郷・言美郷・三宅郷とされています。また、慈覚大師により長楽寺(大森)、観音寺(浦部)、宝泉院(別所)が開かれたといわれるのもこの時代です。

中世期の城址として、朝比奈三郎義秀が築いた小林城、大菅豊後守正氏の居城だった龍崖城、畠山氏が城主だった船尾城などが残されています。戦国期までは千葉氏が勢力をもち、この地を治めていましたが、豊臣秀吉の小田原侵攻によって没落し、その際に千葉氏にゆかりのある宝泉院・長楽寺・東大寺・結縁寺等は焼失してしまいました。

江戸に入ると、米穀生産を基にした石高制社会が確立されましたが、それと共に大規模な新田開発が行われ、多くの村が誕生します。近世の印西には23の村がありましたが、そのうちの6ヶ村がこの時期に誕生し、発作新田、惣深新田などが新たに開かれました。また、江戸初期に行われた利根川の東遷は、流域に大きな変化をもたらします。多くの耕地が開発され始め、川による水上交通は物資輸送路として重要な役割を果たしました。特に水陸交通の要衝にあった木下河岸には、三社詣(香取・鹿島・息栖)の旅人を乗せた木下茶船が発着し、木下河岸で荷揚げされた鮮魚が、木下街道(なま街道)経由で江戸に運ばれるなど、大いに繁栄しました。

明治維新以後、村落の合併を経て、明治22年(1889年)の町村制により、木下町・大杜村(その後、大森町)・船穂村・永治村が編成されました。利根川の水運は、蒸気船就航(東京−銚子)によって栄えましたが、その後の成田鉄道の開通による木下駅などの開業と、利根川の河川改修に伴い、木下河岸周辺の家々が木下駅周辺に移転し、木下河岸はその役割を終えました。

昭和に入り、戦時色が濃くなると、草深に航空機乗員養成所飛行場(後の陸軍飛行場)ができ、ここを中心に空襲にも見舞われました。しかしながら戦後になると、この飛行場跡地は開墾され、畑作地帯となりました。昭和29年(1954年)、2町1村と永治村の一部が合併し、人口約1万1千人の印西町が誕生しました。その後、千葉ニュータウンをはじめ、小林・木下・大森等で開発が進められ、平成8年(1996年)に市制を施行し、約6万人が暮らす街へと成長しています。


印西の名前の由来
「印西」という地名は、この地が印旛沼の西に位置していることが由来となっています。


印西の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
小倉台図書館
住所: 〒270-1356
千葉県印西市小倉台4丁目5 [地図を見る]
電話番号: 0476-47-5511
開館時間: 9:00〜17:00
※水曜日は20:00(4〜9月)、19:00(10〜3月)まで
休館日: 月曜日(祝日の時は火曜日)、国民の祝日、年末年始、館内整理日、毎月末日(但し、土日、および祝祭日の場合はその前日)
入館料: 無料







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